右は私の父の葬儀後。遺影に語りかけてるみたい?
たろうが死んで丸2年。
そもそもわが家がこぞって猫好きになったのも、最初にやってきたたろうのおかげなのである。出会った時はまだ生後1ヶ月ぐらいだったが、世の中にこんなに可愛い生き物がいるのか!?と思ったものだ。
そしてみんなに愛されて17年。2004年の今日、
虹の橋へ旅立った。
たろうの思い出は数々あるが、叔母の命を救った話を。
当時、1階に祖母と叔母Tとたろうが住み、2階に叔母M、3階に母と私とはちとななが住んでいた。弟は職場に近い足立に住んでおり、週末だけ泊まりに来たりしていた。
2000年10月22日、日曜の深夜。
叔母Mが寝ていると、物音がする。目をこらすと、自分で2階へはほとんど上がってこないたろうの姿があった。
「どうしたの たろうちゃん? 一緒にねんねするの?」
たろうに起こされた叔母Mは、1階でシャワーの音がしていることに気づいた。
「あら。こんな時間にシャワー浴びてんのかしら」
不審に思い1階へ降りた叔母Mは、廊下で血の海に遭遇することになったのだ。
叔母Tは神経が細く遠慮がちでガマン強く、ほとんど寝たきりの祖母の面倒を見ていた。昔から年中「胃が痛い」と言っている人であったが、病院に行くことを嫌がり「何か病気が見つかったらコワイ。みんなに迷惑かける」などと言っては、弟や私に「そんなことを言ってて、急病になったら余計迷惑をかけることになるんだ」と叱られていたのだ。
血の海の正体は、胃潰瘍による吐血。後でわかることだが、潰瘍が3つも出来ていたらしい。
廊下で吐血し、汚した足元を洗うためにようやく風呂場まで行ったはいいが、シャワーを出したまま気を失っていたようだ。
救急車には叔母Mと私が同乗した。
血の海を掃除した母は、あまりの出血量に、可哀相で涙が出たそうだ。
たろうが叔母Mを起こしに行かなかったら… もし朝まで誰にも気づかれずにいたら、大出血によるショック死に至っていただろうと病院で言われた。
後でこの話を聞いた祖母の主治医は「今どき胃潰瘍には良い薬が出来ているから、薬ですぐに治るのに!」と絶句していた。
要はガマンのし過ぎが招いた悲劇だったのである。
…とまぁ、これがわが家の猫話の1つ「たろうの恩返し」。
すごいでしょう。「遠くの親戚より 近くの他人」とはよく言われることだが、「別居の家族より 同居の猫」なのである。
そしてこの話には、まだ続きがある。
救急車で病院に行き、なんだかんだで病院を出て来られたのは翌23日 月曜の朝であった。
私は一度帰宅した後、そのまま出社。「こんなことがあって、2時間ぐらいしか寝てないの〜」なんて会社で話した覚えがある。
その日は割と早く帰宅出来たと思う。その翌日に祖母の往診に看護師さんが来る日になっていたので、いろいろ注意すべきところを伺って、叔母Tが入院している間、祖母は叔母Mと母で協力して面倒みようとか、家族でそんな話をした。そして、夜は早めに寝た。
翌24日。
会社に行って仕事をしていたら、たしか午前中だったか。家から電話があり「おばあちゃんが 息をしてない」と。
100歳の祖母は、眠ったままの大往生だった。
祖母は、娘である叔母Tの身体が、このままでは自分の葬儀に耐えられないと知っていたのだ。そして“子分”のたろうを使って我々に叔母Tの窮状を伝えて入院させ、その間にようやく安心して逝ってしまったのだ。
私にはそう思えてしかたない。