オリジナルな人でした。
一時、新しいバンドが注目されるたびに
「清志郎の真似っこじゃん…」
と思った時期がありました。
訃報を受けてからというもの、
ある日はスローバラード、
ある日は多摩蘭坂、
ある日は雨上がりの夜空に、
ある日はぼくの好きな先生、
そしてある日はトランジスタラジオ…
…日替わりで、頭の中をぐるぐる回りだしました。
もう近頃は全然聴いてなかった曲なのに…。
2009年5月9日(土)、青山葬儀所での告別式に
「参列する!」
と、専門学校時代の同級生・ミサコリン。
私はといえば、今や平らな道を歩くことなら5キロや10キロダイジョブですが、長いことじっと立ってる(列に並んでのろのろ歩く)のがキビシイ…ような気がするし、実際は参列のシステムもそんなでもないのかもしれないけど、予想がつかないので、参列は遠慮しました。
また、私程度のファンが並んだら、なんだか後ろの方々に申し訳ないような気もして…。
しかしその日、私は夜早めに表参道で用事があるので、じゃ、タイミングが合ったら会おうよ、ということになりました。
同じく同級生のひろぴょんからも
「ごぶさたしてます…心に穴があいちゃって。SUEやミサコリンも清志郎の好きだったよね」
とメールが来ました。
「めちゃくちゃ取り乱しそうな気がして…」
と、別の友達と告別式に行く約束はしてるものの、迷っている様子のひろぴょんに、ミサコリンと私はメールで“泣けばいいじゃん!”攻撃!(^o^;)
大のオトナの男を泣かせる…わかるよ。
清志郎なら。うまく言えないけど。
ミサコリンは午前中に地元・横浜で仕事を終えてからだったので、夕方4時ごろから並んだそうです。
私が葬儀所付近にかけつけた7時前ごろのミサコリンは、もうすぐ外苑東通りの上の陸橋に上がる…ぐらいの位置でした。
息子のタクボンが飽きてる(小3…飽きるのは無理もない(^_^;))というので、私がどこかで遊ばせて来ようかと
「アカサカサカスでも行く?」
「草■事件の公園も近いんだよ〜」
などと提案したんですが、ママと一緒じゃなきゃヤだって(^o^;)
で、彼女らがトイレに行くのに代わりに並んでたり、ワンセグでタクボンに「志村どうぶつ園」なんて見せたりしてました。
その頃、献花が終わった時などもミサコリンと私にメールをくれたひろぴょんが、電話をくれました。友達と食事して別れ、表参道まで来たけど、そちらはどうか、と。
こちらは、少し前のところで
「ここから後2時間ほどお並び頂くことになりま〜す」
というアナウンスがあり、タクボンにもまだ
「ミッドタウンはどうよ〜?」
などと誘いつつもフラれてたりしたので、結局、ひろぴょんとの再会は「また今度」となりました。
さて、それからおよそ2時間後?
足もキビシクなってきたし、このまま横入りするわけにもいかないので、葬儀所に入る手前で一度別れ、私は先に渋谷へ。
タクシーの運転手さんとちょっと清志郎の話をしてたら、私も少しウルウルと…(:_;)
ミサコリンから「終わったよ」の連絡があったのが9時少し前。
それから渋谷でご飯を食べてお茶飲んで、帰宅しました。
およそ5時間並んだミサコリン。
献花の時はやっぱり泣けた泣けたと…私も清志郎好きだったけど、私にRCや清志郎のカセット(時代(^_^;))をいくつもくれたり、ライブに誘ってくれたりしたのが彼女だったので、熱い気持ちがよくわかりました(;_;)
…と、まぁこの話をブログに載せようと思いつつ、ぐずぐずと読み返したり書き直したりしてて、なかなかアップ出来なかったんですが…(^_^;)
昨日、幼なじみのマサマサにひさびさに会ったので、若い頃ミサコリンやひろぴょんとも一緒に遊んだことがある彼女に、この話をしたんです。
すると、
「そういえば妹がニュース見て『私も告別式行きたかった』って言うのよね」
「え?ファンだったんだっけ?」
「コンタクト屋にいた頃のお客さんだったんだってさ」
彼女の妹は昔、コンタクトレンズ販売の会社に勤めてて、渋谷にある店の店長だった頃があるのでした。
場所柄、芸能人のお客もたくさんいたそうで、中には高飛車でイヤな客も…。
でも、清志郎はすごく優しい、カンジの良いお客様だったそうです。
写真提供:ひろぴょん
【好】