今日は国立市と国分寺市の間にある「たまらん坂」に行ってきました。
5月に亡くなった忌野清志郎を偲んで。
「多摩蘭坂」というバラードの名曲があるのです。
同行は「青山ロックンロールショー」(清志郎の告別式)の時にも会ったor連絡を取り合った、専門学校時代の友人、
ひろぴょん、みさこりん、そしてみさこりんのご子息のたくぼん。
ひろぴょんは近辺の地理に明るいとのことでガイド役になってくれたばかりか、銘々に地図や資料も用意してくれました。
そして、みさこりんは青山でのショーの模様が掲載されたファンクラブ会報を持ってきてくれました。
そうです、彼等らはビッグファンなのです!
暑いけど風が涼やかで、散策にはもってこいの日和でした。
それぞれのカメラで
「たまらん坂」の標示板をパチリ。
清志郎居住地跡に残る石垣をパチリ。
「中3−1」(これも曲名とのこと。仲井戸麗市の出身校、桐朋学園の住所)の表示板をパチリ。
大学通りをパチリ。などなど…。
ぐる〜んと散策して、お昼は大学通りでお蕎麦を食べて、ここでひろぴょんとはお別れ。
みさこりん親子と私はお茶してから新宿へ出て、高島屋(3人とも初!)を覗いて、家路に着いたのでした。
さて青山の時にも書いたけど、私は今や彼等ほどのビッグなファンではありません。
しかし、青山の時も今日も、私は行きたくて行ったのでした。なぜそこまで?
友達にひさびさに会いたいという理由ももちろんですが、もうひとつ、気付いたことがあるのです。
私にとって、好きな男のタイプを見極めるモノサシになってる人の1人なんですね、清志郎は。
それは、
清志郎のように→正直者(に見える)
清志郎のように→シャイ(に見える)
清志郎のように→…etc.
というのが、いわゆる好ましいタイプなのです。
いや、現実の清志郎を知らないから「〜に見える」なんて言い方になっちゃうけど、もっとも現実的(だけど抽象的?)なのが、
彼が紡ぎだす言葉たち、詞の感性です。
だから、きっかけがあれば、私は清志郎の感性の素を探りたくなるのだろうと思いました。
「モノサシな人」の感性だから。
するとやはり
「肉体は滅びても、魂は生き続ける」
これはスピリチュアルでもなんでもない、
当たり前のことなんですね。
それが改めてわかりました。
【好】